スマートフォンの画面に残った「もう少し待ってほしい」という一文を、何度も開いてしまう夜がある。
もう少しが一週間なのか、半年なのかは書かれていない。それでもこちらから期限を聞けば、相手を追い詰める気がする。理解のある人でいたい。重たいと思われたくない。そんな気持ちで「分かった」と返し、予定のない時間だけが伸びていく。
待てる人でいたい気持ち
好きな人に事情があるなら、待ちたいと思うのは自然なことだ。相手が苦しいときに、自分の都合ばかりを押しつけたくない。そのやさしさまで、間違いにする必要はない。
ただ、待っているあいだに食事の味が薄くなり、友人からの誘いを断り、画面が光るたび心臓が跳ねるようになったなら、そこには別の気持ちもいる。
「待てる自分でなければ愛されない」という恐れだ。
相手の事情を尊重することと、自分の時間を差し出し続けることは同じではない。相手には今すぐ答えを出せない自由がある。そしてこちらにも、答えのない場所でどれほど待つかを決める自由がある。
願いを義務に変えない
本当は関係に名前がほしい。次に会う日を知りたい。自分を選んでほしい。
それは自分の願いであって、相手の義務ではない。けれど、願いが義務ではないからといって、願ってはいけないわけでもない。自分が何を望んでいるかを隠したまま待つと、やがて相手への怒りより先に、自分を粗末にした悲しさが残る。
「私は三か月なら待てる」「この状態のままでは会い続けられない」。そんな言葉は、相手を動かす命令ではなく、自分が生きられる範囲を伝える言葉だ。
待つ時間を自分へ返す
期限を決めても、気持ちはすぐには整わない。今日で終わりと決めた翌日に、もう一度信じたくなることもある。心は契約書のようには動かない。
それでも、自分の生活を再び動かすことはできる。返事を待ちながら出かける。会いたいと思いながら、別の約束を入れる。愛情を消さずに、自分の時間を自分へ戻す。
待つか、離れるか。その答えより前に、「私はどんな時間を生きたいのか」という問いがある。画面を伏せたあとに戻ってくる静けさの中で、その問いだけは誰かに預けずにいられる。
選び直すことは、裏切りではない
一度「待つ」と言ったあとで苦しくなったとき、約束を破るような罪悪感が生まれることがある。相手の状況は変わっていないのに、自分だけが耐えられなくなった。そんなふうに見えるからだ。
けれど、約束した日の心と今日の心は同じではない。人の心は、時間の中で疲れたり、希望を持ち直したり、新しい事実に気づいたりする。昨日の自分を裏切らないために今日の自分を黙らせれば、守られるのは約束の形だけになる。
選び直すことは、相手を罰することではない。「あなたが悪いから待たない」ではなく、「私はこの時間を続けることが難しくなった」と、自分の側にある変化を伝える。相手がそれを受け入れるかどうかまでは決められない。それでも、自分の心に起きたことをなかったことにしない選択はできる。
待つことをやめても、好きだった気持ちまで嘘になるわけではない。離れたあとも、返事を期待する朝があるかもしれない。選択が先に動き、感情が遅れてついてくることもある。
愛情が残ったまま、自分の生活を選ぶ。その不器用な形もまた、誰かを愛した人にしかできない選択なのだと思う。
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