帰り支度をする相手の背中を、ベッドの中から見ていた。
さっきまで隣にあった体温が、シャツを着て、靴下を履き、コートを羽織るたび遠くなる。
『また連絡する』
相手はやさしく言った。自分も笑って『うん』と返した。玄関の扉が閉まると、急に泣きたくなった。
嫌だったわけではない。自分から会いたいと言い、触れられたときはうれしかった。だから寂しいと言う資格がないように感じた。
昨夜の自分と朝の自分を争わせない
その瞬間に望んだことは本当だった。帰ったあとに胸が空いたことも、朝になって関係を知りたくなったことも本当だった。
昨夜うなずいたことが、朝の感情まで予約するわけではない。うれしさの翌日に寂しさが来ても、どちらかを偽物にする必要はなかった。
枕には相手の整髪料の匂いが残っていた。シーツを替えるほど嫌ではなく、そのまま眠るほど落ち着きもしない。洗濯機へ運びながら、自分は夜だけ呼ばれる相手でいたいわけではなかったと気づいた。昼間にも会い、身体の関係がない日にも話したかった。
関係に名前がなくても、自分の気持ちと身体の境界を曖昧にしなくてよい。まず知る必要があったのは、相手の答えより、自分が何を望んでいたかだった。
次に会う前の一文を作る
スマートフォンへ何度も文章を打った。『私たちって何?』と書くと、恋人という答えだけを迫っているように見えた。長い気持ちを全部送れば、重いと思われそうだった。
最後に残したのは一つだった。
『昨日会えてうれしかった。次に会う前に、私たちがどんな関係を望んでいるか話したい』
次に会う前に話したいことを一つ言葉にする。昨夜を責めず、交際を命じず、うれしかったことと会話が必要になったことを同じ文に置いた。
返事は数時間後に来た。『そんな難しく考えてなかった。今度話そう』
安心できる答えではなかった。拒絶でもなかった。曖昧な返事を見て、すぐ相手に合わせた説明を作りたくなったが、その日は続きを送らなかった。
気持ちより先に身体の話をした
会う約束の前に、避妊をどうするか、性感染症の検査をいつ受けたか、ほかに性的な関係を持つ人がいるかも尋ねた。
相手は『信用されてないみたい』と少し不機嫌になった。こちらも空気を壊した気がした。けれど身体を近づける関係には、二人の健康に関わる情報がある。信頼を示すために黙る話ではなかった。
『待って』と言ったら手が止まるか。会う約束をした日でも、触れ合うかどうかはその場で尋ねられるか。恋人という呼び名が決まる前にも、確かめられることはあった。
質問しただけで怒鳴られる、帰ろうとすると脅される、止めてと言っても触れられる。そんな状況では、会って説明する約束を重ねず、信頼できる人や専門の相談先へつながる。帰れる場所と連絡手段を先に確保する。
相手の答えを聞いたあとに残った選択
昼の喫茶店で話した。相手は今すぐ恋人を作るつもりはなく、気が合うときに会いたいと言った。ほかの人とも会う可能性はあるという。
自分は、少なくとも今は、その形のまま身体の関係を続けると帰ったあとに苦しくなると伝えた。相手を嫌いになったわけではない。会えなくなるのも寂しかった。
話し合えば、同じ関係を望んでいたと分かる結末を期待していた。実際には、望みの違いが見えた。相手の答えを変えさせることはできない。こちらにも、その条件を引き受けるかを選ぶ時間がある。
店を出ると、相手は駅の方向、自分は川沿いの方向へ歩いた。紙コップのコーヒーはほとんど残っていた。橋の上で冷たい風に当たり、返事を急がず帰る道を選んだ。
その夜、相手から『今から会える?』とメッセージが届いた。画面を見て、会いたいと思った。コートを着る背中も思い出した。
『今日は行かない。話したことを少し考えたい』と返した。明るい決断ではなかった。送信後に泣き、次の日も会いたさは残った。
昨夜を後悔だけに変えず、今日の寂しさも置き去りにしない。そのために、次の夜を一度止めた。関係の名前はまだない。それでも、自分の気持ちが存在する場所は少し戻ってきた。
本文中の人物や出来事は、テーマを伝えるために構成したフィクションです。
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