管理人【K】の言葉

好きだった趣味が苦しいとき、未完成のまま休む

ログインしてブックマーク

棚の上に、三分の一だけ編んだ灰色のマフラーがある。

去年の冬は、帰宅するとコートも脱がずに続きを編んだ。毛糸の色を選ぶ時間も、目が一段ずつ増える様子も好きだった。

今年は休日になるたび、『今日こそ少し進めよう』と思う。昼を過ぎても袋を開けられず、短い動画を眺めているうちに窓が暗くなる。

仕事だけなら疲れているせいにできた。好きだったことまで面倒になると、自分の中の大事な部分が壊れたように感じた。

好きだった時間が採点表に変わる

友人から『気分転換に編み物したら?』とメッセージが届いた。悪気のない言葉だった。自分でも、編み始めれば楽しくなると思った。

机へ毛糸を出し、音楽を流す。五分たっても針を持つ気にならない。再生した曲も頭に入らない。

楽しいか。集中できるか。去年の自分に近づいたか。休むための時間に、いつのまにか試験官が座っていた。何も感じないと、回復していない証拠をまた見つけた気がした。

マフラーは責めていない。ただ棚に置かれている。それを『以前の自分ならできたこと』として眺める自分の視線が、休日を苦しくしていた。

心が欲しがっていたのは空白だった

平日は、返事をすることが多い。職場の連絡、家族の予定、届いた荷物。夕食を決め、洗濯物をしまい、明日の目覚ましを合わせる。

趣味まで始めれば、そこにも続きを作る、上達する、完成させるという動詞が増える。心は新しい楽しみを欲しがるより、もう何も求められない時間を待っていた。

日曜の午後、音楽を一曲だけ流した。最後まで聴くとは決めなかった。途中で台所へ水を取りに行き、戻っても再生し直さなかった。何も完成せず、記録にも残らない時間だった。

それで元気になった感覚はない。ただ、楽しめたかどうかを測らない数分があった。回復という名前をつけない時間が、部屋に少しだけ残った。

毛糸を箱へ移した日

次の週、棚の掃除をした。マフラーの袋には薄くほこりが積もっていた。続きを編むために開けたのではない。布で袋を拭き、押し入れの箱へ移した。

捨てるとは決めなかった。完成させる日も決めなかった。目に入るたび発生していた『やらなければ』を、視界の外へ置いた。

途中まで編んだ時間は失敗ではない。あの冬、毛糸を選んで楽しかった夜は確かにあった。今後また編みたくなるかもしれないし、別のものへ心が動くかもしれない。どちらも今ここで約束する話ではなかった。

好きなことを続ける義務はなく、未完成のまま休むことも選べる。そう考えた途端に明るい気分になったわけではない。それでも、棚を見るたび自分を採点する回数は減った。

楽しめない日を一人で抱えないために

何もしたくない日には、疲れの理由を探し続けるより、体に起きていることを確かめた。眠れているか。食事を取れているか。頭痛や動悸が続いていないか。仕事へ向かう朝に強い苦しさがあるか。

趣味に触れない期間があることだけで、自分へ診断名をつける必要はない。一方で、長いあいだ何にも関心が向かず、眠りや食事、仕事や身の回りのことにも影響が出ているなら、励ましだけで持ちこたえようとせず、医療機関や相談先へ今の状態を話す道がある。

相談するときも、原因をきれいに説明する必要はない。『好きだった編み物にも手が伸びない』『休日も体が動かない』という事実から話せる。

押し入れにマフラーをしまった翌週、休日に予定は入れなかった。昼寝をして、目が覚めたあと窓を少し開けた。完成や上達を求めない時間を一つ選んだ。

夕方になっても、編み物は再開しなかった。元気だった自分に戻れたとも思わなかった。けれど、その日の自分には未完成のままでいられる場所があった。

箱の中の毛糸は、待っているのでも、失望しているのでもない。灰色の途中として静かに置かれていた。


本文中の人物や出来事は、テーマを伝えるために構成したフィクションです。

ログインしてブックマーク
管理人 【K】

WORDS LEFT HERE

この記事を読んで、心に残ったこと

答えや助言でなくても大丈夫です。 あなたの言葉は確認後、こよりがそっと届けます。