「明日、会うのやめておこうか」
梨乃はそう送ってから、クローゼットに掛けた服を見た。明日のために選んだ服だった。鞄には、貸してもらった本も入れてあった。
会いたくなくなったわけではなかった。
「自分は会いたいよ」
その一言を、直人から返してほしかった。
届いた返事は、違っていた。
「分かった。無理しないでね」
梨乃は画面を伏せた。やっぱり、会えなくても平気なんだと思った。断ったのは自分なのに、断られたような気持ちになった。
断った言葉の中に、頼みごとを隠した
二人で会うのは、次で四度目だった。いつも楽しい。直人は帰りの電車まで付き合ってくれるし、話した本の続きを覚えている。
ただ、次に会う日を決めるのは、梨乃からのことが多かった。
こちらばかり楽しみにしているのだろうか。誘われたから来ているだけなのだろうか。予定が決まっても、会いたいと思われている実感が欲しかった。
以前の恋では、自分ばかりが連絡していた。最後には、返事を待つことが一日の中心になった。また同じようになる前に、今度は相手の気持ちを確かめたかった。
だから、約束を引っ込めてみた。
断られても会おうとしてくれるなら、信じられる気がした。自分から「会いたいと言ってほしい」と頼むのは怖かった。頼んで言われた言葉では、本当かどうか分からなくなると思った。
けれど梨乃が送ったのは、会いたいという願いと逆向きの文章だった。
直人には、明日を楽しみにしていることも、服を選んでいたことも見えていない。見えているのは、「会うのをやめておこうか」という言葉だけだった。
梨乃はその文章を読み返した。自分が受け取ったら、疲れているのかもしれないと思う気がした。理由を詳しく聞かずに、休んでもらおうとするかもしれない。
返事から直人の気持ちを知りたかった。ところが今は、自分が本音を隠したことで、返事の意味がいっそう分からなくなっていた。
追いかけてもらえたら、安心は続いただろうか
もし「それでも会いたい」と返っていたら、今夜はうれしかったと思う。
でも、次の約束も自分から決めることになったら、また気になるだろう。返信が短ければ、前の言葉は気遣いだったのかと疑うかもしれない。
梨乃は、今日の返事一つで、この先も安心できるところまで確かめようとしていた。
画面には「無理しないでね」が残っている。冷たく感じたその言葉が、梨乃の申し出を受け入れた言葉にも見えた。
本当に直人がどう感じていたかは、まだ分からない。残念だったのかもしれないし、予定が空いてほっとしたのかもしれない。
ただ、引き止めなかったという理由だけで、会いたくなかったと決めるのは、直人に知らせていない条件で答えを採点することになる。
梨乃は、もう一度連絡しようと思った。
そこで初めて、明日の時間を直人にも空けてもらっていたことを、はっきり考えた。自分の不安を確かめるために、二人の約束を動かしてしまった。
傷つくのが怖かった。それは本当だった。直人に本当と違う言葉を渡したことも、なくならなかった。
本音を伝え直すとき、予定まで戻るとは限らない
梨乃は通話ボタンに触れかけ、まず、今話せるかを尋ねた。直人から電話がかかってきたのは、食器を洗い終えたころだった。
声を聞いた途端、何でもない話をしたくなった。明日のことには触れず、笑って終われたらと思った。
蛇口を閉め、濡れた手を拭いた。
「明日、本当は行きたかった。引き止めてほしくて、やめようって言った。ごめん」
直人が黙った。梨乃は、どう受け取られたかを確かめる質問を重ねずに待った。
「会いたくなくなったのかと思った。明日はもう、弟と出かけることにしたよ」
クローゼットの扉が半分開いている。準備していた服の袖が見えた。
正直に話したら、明日の予定も戻せると思っていた。直人には、断られた時間を別のことに使う選択があった。
「うん。その予定は変えないで」
言いながら、寂しかった。自分が空けた時間なのに、もう一度こちらへ返してほしくなった。
その寂しさまで直人に片づけてもらおうとすると、また違う形で追いかけさせることになる。梨乃は、明日会う話をそこで終えた。
「でも、いつも私から誘っているのは、気になってた」
そこは伝えたかった。謝ったあとでも、最初に不安だったことは残っていた。
直人は、梨乃が行きたい場所をよく見つけるので、任せていたと言った。誘うのが苦手だとも言った。
「次は、そっちからも声をかけてもらえたらうれしい」
頼んで誘われるのでは意味がない、という考えがまだ浮かんだ。けれど、梨乃が負担に感じていることを知らずに任せているのなら、黙って採点を続けても二人には伝わらない。
直人は、今度は自分で行き先を考えると言った。
梨乃は、実際の誘いを待ってみようと思った。今回頼んだことが続けて置き去りになるなら、それも二人の付き合い方を考える材料になる。何度も偽のキャンセルを送って確かめる必要はなかった。
翌日、直人と会うために選んだ服で、一人で出かけた。
駅の改札で、誰も待っていないことが少しこたえた。歩きながら、あの連絡をしなければ今ごろ二人だったのにと思った。
不安を感じたことを後悔しているのではなかった。会いたい気持ちを、会わないという言葉で届けたことを、次は変えたかった。
誘いが来るかどうかは、まだ気になる。それでも今、直人が受け取っているのは、梨乃が隠した答えを当てる問題ではない。
「次は、そっちからも声をかけてもらえたらうれしい」
電話で伝えた願いが、そのまま相手に届いていた。
本文中の人物や出来事は、テーマを伝えるために構成したフィクションです。
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