「ここ、前にも来たことある?」
恋人が迷わず店の奥へ歩いていったので、何気なく聞いた。
「あるよ。前に付き合ってた人と」
聞いたのは自分だった。相手も隠さず答えただけだった。それなのに、さっきまで楽しみにしていた窓際の席に、知らない人が座っている気がした。
何を食べたのだろう。どんな話をしたのだろう。今日と同じように、向かいの人を見て笑っていたのだろうか。
注文を決める前に、もう一つ聞いた。
「よく来てたの?」
答えを聞けば落ち着くと思っていた
二回くらい、と返ってきた。少し安心した。けれどすぐ、二回とも特別な日だったのかもしれないと思った。
付き合っていた期間は知っている。別れた理由も、一度は聞いた。知らなかったころより安心できているかといえば、そうでもなかった。話の細部が増えるほど、会ったこともない元恋人の姿が頭の中ではっきりしてきた。
帰り道、また聞きたくなった。自分といるときにも、その人を思い出すことがあるのか。
好きな人のことは知りたい。自分に出会うまで、どんなふうに生きてきたのか、話してくれるのはうれしい。けれど、いつからか質問のあとに欲しくなるものが、相手の話より「今はあなたがいちばんだよ」という返事になっている。
その言葉をもらえば、今夜は眠れる気がする。でも明日、別の思い出を聞いたら、また確かめたくなるかもしれない。
過去の恋について尋ねることが、今の愛情を測る作業に変わっていた。
恋人が誰かを好きだった時間は、自分が会ったことのないその人と、恋人の間にある。いくら詳しく聞いても、自分が同じ場所に立って確かめることはできない。聞いた言葉から想像した場面だけが増えていく。
相手も、困り始めていた。
「何を答えたら安心する?」
その声を聞いて、聞きたいことがうまく言えなくなった。昔の恋を悪く言ってほしいのだろうか。自分との時間のほうが幸せだと、毎回比べてほしいのだろうか。
そんな会話をしたくて、今日会ったわけではなかった。
知らないまま残すことと、曖昧にしたくないこと
過去をすべて聞かなくても、今の二人に必要な話はできる。
前の恋人と今も会っているのか。連絡が続いているなら、どんな付き合いなのか。今の交際について、互いにどんな約束をしているのか。これは、現在の関係をどう続けるかに関わる話だ。
一方で、昔どちらから告白したか、どの店で何を食べたか、自分と前の恋人のどちらが好みなのか。その答えを集めても、これからの二人の約束は決まらない。
もちろん、聞くこと全部を自分の嫉妬のせいにする必要もない。今も続いている関係を隠されていたり、以前の説明と食い違うことがあったりするなら、その事実は確かめたい。過去を詮索しないことが、現在の疑問まで飲み込む理由にはならない。
今夜、気になっているのは何なのか。
以前から続く関係が心配なのか。それとも、この店で過ごす時間が、相手にはありふれたものに感じられたのか。
駅へ向かう途中で、立ち止まった。
「さっきから細かく聞いてごめん。前にも来たって聞いて、今日のことまで前の続きみたいに感じてしまった」
口にしてみると、自分でも少し意外だった。昔の恋を全部知りたかったというより、今日ここに来た二人の時間を、ちゃんと感じたかった。
「好きな店だから、一緒に来たかったんだよ」
相手はそう言った。
それでも、前の人のことがすぐ頭から消えたわけではない。もっと聞けば、もっと安心できる気もした。ただ、その夜は思い出の続きを尋ねず、「また比べるような聞き方になったら、少し話を止めたい」と伝えた。
昔の話をどこまでしたいかも、人によって違う。話せることもあれば、二人の外にいる人の私事まで含まれることもある。話したくない箇所があるというだけで、愛情が足りないと決めれば、相手は答えるたびに何かを証明し続けることになる。
質問が浮かんだとき、その答えで今の二人の何を決めたいのか、一度考えてみる。現在の約束を確かめたいなら、その約束について聞く。比べてもらいたいだけだと気づいたら、その奥の不安を自分の言葉で話す道もある。
帰りの電車で、今日食べたものの話をした。思ったより辛かったこと。隣の席に運ばれてきた料理もおいしそうだったこと。
店には、相手の知らない自分の記憶も一つできていた。窓に映った二人を見て、来てよかったと思った瞬間があった。
自分に会う前の時間は消えない。二人で過ごす今日にも、初めてのことはある。全部を聞き終えてからでなくても、その続きを一緒に作っていける。
本文中の人物や出来事は、テーマを伝えるために構成したフィクションです。
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