「久しぶり。会いたい」
半年ぶりに、その名前が画面に出た。
沙帆は椅子から立ち上がった。何を取りに行くつもりだったのか分からず、台所の入口で止まった。何度も想像した連絡だった。これが届いたら、きっと泣いて喜ぶと思っていた。
返信欄に「私も」と打った。
送る前に、最後に会った日のことが浮かんだ。喫茶店の隅で、冷めた紅茶を両手で包んでいた。話したかったことはまだ残っていたのに、相手は「今日はもうやめよう」と席を立った。
沙帆は、打った三文字を消した。
会いたかった人と、最後に会った人
別れてから思い出すのは、よく笑った夜だった。道に迷って入った店。駅まで遠回りした帰り道。くだらない話の続きを、もう聞けないことが寂しかった。
今夜、その続きが戻ってくるかもしれない。
けれど沙帆が寂しいと伝えると、会話が途切れることもあった。「責められている気がする」と言われ、次からは言い方を選んだ。それでも途中で話が終わると、後日持ち出すのが怖くなった。
最後の数か月は、会える日ほど明るく振る舞っていた。せっかくの時間を悪くしたくなかった。帰宅すると、会う前より寂しい夜があった。
もう一度会いたい人の中に、あの話を最後まで聞いてほしかった人もいる。
連絡を待っている間、二人で笑う場面は何度も想像した。その先でまた言葉を飲み込む場面まで、考えたくはなかった。
画面には、まだ「会いたい」だけがあった。
懐かしい話なら、すぐにできた
「連絡をもらってうれしかった。どうして会いたいと思ったの?」
沙帆がそう返すと、以前よく行った店の近くを通ったのだという。あの店がまだあったこと、看板が変わっていたこと。短いやりとりが続いた。
思わず笑った。文章の間合いも、変なところを覚えているところも、懐かしかった。
「今度、行かない?」
返事をすれば、約束ができる。あの席に座り、前と同じものを頼むところまで思い浮かんだ。
うれしかったからこそ、沙帆は迷った。今ここで別れ際の話をしたら、せっかく戻ってきた会話が終わってしまうかもしれない。
以前も、こうして話す時機を逃していた。
楽しく話せる日には水を差したくない。機嫌が悪そうな日には、今日はやめておこうと思う。そうして待っているうちに、沙帆の話だけが二人の間からなくなっていった。
また同じ席に座ったら、自分は何を話すだろう。
店のことだけで帰ってきた翌朝を想像すると、今夜のうちに一つ伝えておきたくなった。
今度は、途中で終わった話をしたい
沙帆は、長い文章を書きかけた。別れるまでにつらかったことを並べると、画面いっぱいになった。
読み返して、今度会うとしたら確かめたいことを一つ残した。
「私も会いたい気持ちはある。ただ、前に寂しいと話したとき、途中で会話が終わることが続いて、何も言えなくなった。会うなら、そのことを話したい。今はどう思っている?」
送ったあと、胸がどきどきした。これで誘いがなくなったら、やはり書かなければよかったと思う気がした。
返事は、翌日の昼に来た。
「嫌な話から逃げていたと思う。聞けなかったことは謝りたい。でも、うまく話せるかは分からない」
その言葉を読んで、沙帆は少し息を吐いた。同時に、以前にも謝ってもらったことはあると思い出した。
謝罪を疑いたいわけではなかった。ただ、一度の返事から、この先の二人を思い描くには、まだ知らないことが多かった。
沙帆自身も、責めるような言い方になってしまうかもしれない。相手の話を聞いて、また悲しくなるかもしれない。それでも今度は、困ったときに二人がどう話を続けるかを知りたかった。
「途中でしんどくなったら、休憩したいと言ってほしい。今日は続けられないなら、いつ続きを話せるか、その場で相談したい」
返事は短かった。
「分かった。自分もそうしたい」
まだ約束が交わされただけだった。会ったときに何が起こるかは、会う前の文章には書かれていなかった。
約束したのは、一時間話すこと
土曜の午後、駅前の喫茶店で一時間ほど会うことにした。二人でよく行った店は、今回は選ばなかった。懐かしさに任せて過ごすと、伝えたいことをまた後回しにしそうだった。
「会ってすぐ、やり直すかどうかの返事はできないと思う」
沙帆は、それも先に伝えた。相手は了承した。
会いたい気持ちは消えていない。実際に顔を見たら、抱きしめたくなるかもしれない。待ち合わせを決めただけで、もう少し浮き立っている自分もいた。
一方で、聞きたくない話が出る可能性もある。考え方が変わっていないと分かることも、話したあとで、もう会わないと決めることもある。再会の日を、半年分の寂しさが終わる日にしようとすると、その場で出せない答えまで欲しくなりそうだった。
手帳を開き、土曜の欄に店の名前を書いた。その下に、短く添えた。
「途中で終わった話をする」
最初の連絡を、もう一度読んだ。「会いたい」という言葉に、今も胸が動いた。
今度は「私も」と返した。
その三文字の前に、以前は言えなかった話が残っていた。待ち合わせの日、沙帆はそれを持って家を出るつもりだった。
本文中の人物や出来事は、テーマを伝えるために構成したフィクションです。
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