『仕事は丁寧なんだけど、もう少し主体性がほしい』
半年に一度の面談でそう言われ、遥は小さくうなずいた。上司は評価シートの次の欄へ進み、面談は予定より五分早く終わった。
席へ戻ってノートを開いた。改善することを書こうとして、ペンが止まった。
主体性。
四文字は書ける。その下に、明日何をするかが書けなかった。
性格欄に書き込んだ夜
帰りの電車で、遥はこの半年を巻き戻した。会議で発言を見送った日。担当外の問い合わせを上司へ渡した日。資料を確認してから送った日。
『私は言われないと動けない人なんだ』
面談で言われたのは仕事上の一語だったのに、家へ着くころには性格の判決になっていた。
夕食のあと、社内の評価項目を探した。そこにも『主体的に業務へ取り組む』としか書かれていない。検索すると、先回り、提案、責任感、発言力という言葉が次々出てきた。全部を直そうとすると、明日から別人になるしかなかった。
翌朝、遥は上司とのチャットを開いた。『昨日の評価について、改善したいので確認させてください』まで書き、十分ほど置いてから送った。
返ってきたのは一件の問い合わせだった
遥が尋ねたのは二つだった。
『主体性が足りないと感じた最近の場面を、一つ教えてもらえますか』
『次の三か月で、どんな行動が見えたら改善したと判断できますか』
上司から返事が来たのは午後だった。前月、顧客から仕様外の相談が届いたとき、遥は判断を求めてそのまま転送していた。上司は、対応案を一つ添えてほしかったらしい。
次回の目安については、『相談するときに自分の案を添えることが増えているか』と返ってきた。
遥は少し腹が立った。案が必要なら、そのとき言ってほしかった。それでも、直す対象は性格よりずっと小さくなった。会議で誰より早く話すことでも、担当外の仕事を抱えることでもなかった。
曖昧な評価語を人格への判決にせず、観察できる行動へ翻訳する。質問への返事は、そのための材料になった。
慎重さを捨てずに案を添える
翌週、別の顧客から納期を早められないかと相談が来た。遥は一人で可否を決めなかった。制作担当へ確認し、上司へこう送った。
『通常納期は難しそうです。初回分だけ先に渡し、残りを予定日にする案なら調整できると思います。制作担当の確認後に返答してよいでしょうか』
上司からは『その案で確認を進めて』と返った。
たった一件で評価が変わったわけではない。次の相談では案が浮かばず、『現時点で案を作れていません。今日中に関係部署へ確認します』と送った。分からないものを知っているふりはしなかった。
遥がこれまで確認を重ねてきたから防げた間違いもある。その慎重さを消す必要はなかった。確認する理由と、その時点で考えた案を相手から見える場所へ出す。試したのはそれだけだった。
月末、ノートに三行だけ残した。提案した案、早めに共有した問題、判断を待つ間に進めたこと。上司を言い負かす証拠ではない。半年後の一言で、自分がした仕事を全部忘れないための記録だった。
三か月後にも曖昧さは残った
次の短い面談で、上司は『最近は自分から動けているね』と言った。
遥は礼を言ってから、前回決めた目安を一緒に確認した。案を添えた相談は九件。うち三件は採用され、四件は修正され、二件は別の方針になった。
評価は上がった。ただし上司は今度、『もっと周りを巻き込めるといい』とも言った。新しい曖昧な言葉が出てきて、遥は思わず笑いそうになった。
以前なら、協調性まで欠けていると受け取っていたと思う。今回はノートを開き、その場で尋ねた。
『最近のどの場面を見て、そう感じましたか』
上司はすぐには答えられず、『確認して後で伝える』と言った。
評価を受ける側だけが、曖昧な言葉の意味を当て続ける必要はない。具体例が出れば試せる。出なければ、評価する側の観察が足りない可能性も残る。どちらにしても、自分の人格を先に有罪にする理由にはならなかった。
面談の帰り、遥はノートへ『周りを巻き込む』と書いた。その下は空けておいた。上司から具体例が届いてから、行動の言葉で埋めるつもりだった。
本文中の人物や出来事は、テーマを伝えるために構成したフィクションです。
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